先生方からのお手紙
K.O先生からのお手紙
私は長年医師という仕事に携わっておりますが、向上心と誠意とをたよりにして、浅学非才の身でありながら、なんとか今日に至ることができました。その中で「職場が求めることに対応できないと分かったとき」、「職場に求めることが提供されないと分かったとき」を辞するときと決めています。
終の職場と思われた父の診療所を辞し、職場を東京に求めたのは平成13年。
メガ コンサルタンツの社長さんにはその時からお世話になって今日に至っています。
・・・関西から上京し、京王線で富士山が見えたとき、ずいぶん遠くへ来てしまったと実感しました。
北斎や太宰の中だけの富士山が身近に感じられ、美しく思いました。
自分を信じて、精進すれば、どんなときでも道は開けます。夜明け前がいちばん暗いのです。
富士山は元気をくれました。富士山は都内のいろいろなところで見ることができます。
港区の病棟から夕暮れの富士山が見えたときは素直に感動しました。
以後、転職の相談をお願いする機会がありましたが、いつも社長さんの選択は
適切で、驚きかつ感謝するばかりでした。ふりかえると、どの病院も懐かしく、多数の知己を得られ、やはり幸せだったと思われます。
小医は病を、中医は人を、大医は国を診るといわれます。
医療業界の末端構成要員を自負する私は「人」を診る様努めていますが、
非力にして日常の時間の流れに流されてしまうことも、しばしばです。
周囲の人に助けられつつも、これからも元気に勤務しようと思っています。